立切試合-限界努力の先にある勝利-        

 

2020年に開催される東京オリンピックで、メダルを狙う競技団体は、競技力を高めるため20秒間スプリント+10秒間ウォーキングを78回反復する「TABATAプロトコール」トレーニング法に強い関心を寄せている。すなわち高強度の短時間の運動を疲労が回復しきらない短い休息時間を挟んで反復するトレーニング法である。

一方、剣道界では「心技体」を高める方法として明治元年「江戸無血開城」に大きく貢献し、かつ明治天皇の侍従を務めた一刀正伝無刀流開祖山岡鉄舟の「立切試合」(立切稽古)法が注目されている。それは朝から晩まで自らを極限まで追い込む荒稽古によって優れた知力、体力、精神力、胆力を身に付けるというものである。のちに山岡は「春風館」という撃剣道場を設立し四百余名の門人を育てたが強くなりたいと望む剣士には、一週間という日時を限って朝から晩まで稽古を専一にする「一週間数稽古」を課した。世に言う「立切試合」という方式である。立切試合とは第三期にわたって身心を鍛えるもので第一期は一日二百面の立切試合、第二期は三日間立切六百面、第三期は七日間千四百面の立切試合である。第三期の稽古は1日当たりに換算すると二百回の試合をしたことになる。後年、旧制第四高等学校剣道師範となる高弟香川善治郎(二代目)がこの立切試合に挑戦し心技体を高めたのである。香川剣士の覚え書には、第一、二期を経て第三期初日は、午前六時から血気盛んな若手剣士10人を相手にし、正午に昼食を取った後しばし休息し、二百面の立切試合が終了したのが午後五時半頃であった。約11時間の立切稽古でも意外に苦痛を感じなかったとの事。しかし四日目にさしかかるころには、さすがに自宅から道場までたどりつくのがやっとで、道場にたどり着いたとき、師山岡鉄舟よりもう止めなさいと諭され止む無く中止をしたと覚え書きにある。

時は移り、昭和30年代、中京商業(現中京大中京)前田治雄七段は山岡鉄舟の立切試合を参考に指導者と三本勝負をくり返す稽古法(前田方式)を編み出し、無名高校生達を全国優勝並びに国体二位に、加えて大学選手権獲得する事二回、準優勝二回を獲得する選手を育て上げた。昭和40~60年代、前田方式で育った学生は指導者として私学で団体準優勝一回、個人同校同士の決勝を戦演ずる剣士などを育てた。また国立では概ね15年間、これはと思う学生に前田方式を課した結果、全日本女子剣道大会団体で上位入賞はかなわなかったもののベスト8五回、個人は優勝者一名、準優勝一名(二年連続)を育て上げた。

剣道の試合は、一般的に男女問わず4~5分間三本勝負である。時間内に一本対零、もしくは二本の有効打突(得点)を先取すれば勝利を得ることができる。したがって有効打突を満たす稽古や指導、すなわち“適正な姿勢”や相手に対する“尊敬の念を保つ態度”(残心)、加えて“精神性”を重視した指導や稽古が重視した練習が普通である。したがって練習や試合の運動強度はそれほど強くない。しかしどの競技スポーツでも体力、技術、精神力、戦術の優劣によって決まる。技術獲得の最大条件は反復練習です。例えば、卓球競技などは試合自体の運動強度は低いと思いますが連日10時間以上の練習が必要です。また、精神力・戦術も限界努力を体験することによって培われるもので、限界努力の体験が何よりも重要で禅の不立文字で理屈ではありません。

山岡鉄舟や香川剣士が行った7日間1400試合、1200回の試合は無理としても、日を区切って対象者を“もう一本、もう一本”と疲労困憊直前まで追い込む前田式稽古法は競技力向上の観点からは重要なことと考えられる。一方で指導者は対象者の身体能力や意欲を十分見極めて怪我や障害が発生しないように十分留意しながら指導することが必要である。

因みに、この項は宮下充正編著「疲労と身体運動・剣道」を改変し引用しています(2018.2発刊.杏林書院)

参考 村上康正編 香川善治郎「覚書」「「一刀正伝無刀流開祖山岡鐵太郎先生遣存剣法書」」 又は剣道日本 1986 第11巻 4号 

金沢大学剣友会発刊 創立40周年記念特集号 剣友 第10号 平成19年